頭んなかで、楽しんだ。

ツイッター:https://twitter.com/InTheFullMoon

【解説】『月曜日の友達』小ネタと最終話と超能力と【考察】

※ネタバレありなので未読の方はご注意を

 

『月曜日の友達』には、一見なんでもないシーンが実は非常に重要なシーンであったり、これを知っていればもっと楽しめる!というような描写があちこちに隠されている。前回の記事(【感想】ポエム(笑)から始める『月曜日の友達』)で伝えきれなかった部分をここでは紹介していきたいと思う。

 

inthefullmoon.hatenablog.com

 

なお考察を含むため、実際は違う点があるかもしれないのを念頭に置いていただけるとありがたし。

 

 『月曜日の友達』の小ネタたち

  1. 舞台は兵庫県
  2. 名前のヒミツ
  3. それぞれの能力とその効果
  4. 火木香の勘違い
  5. 月野透の勘違い
  6. なぜ火木香はひとりぼっちになったのか
  7. これが『月曜日の友達』の時系列だ!
  8. 最終話の意味

 

1.舞台は兵庫県

聖地巡礼をされた方(いのけん@inoken0315さん)の記事がこちらの後半にまとめられている。水谷たちが行ったロープウェイやカラオケ店をはじめ、漫画内での何気ない路地など、読んだ人は思わずニヤリとしてしまう写真が並んでいるので是非。

togetter.com

 

2.名前のヒミツ

キャラの名字に日〜土の一週間を示す漢字が含まれている有名な小ネタ。一週間グループ。

f:id:inthefullmoon:20181224102734j:plain

名前が漢字一文字というのも特徴的。 
ちなみにいつも水谷たちと一緒にいたのに一週間グループに入れなかった女の子の名前は「春林」さん。かわいそうな子…。といっても実は水谷と直接話すシーンが無く、土森の友達だからという程度の関係だったなのかなと。友達の友達という距離感ではよくある話。

f:id:inthefullmoon:20190130152149p:plain

 

3.それぞれの超能力とその効果

<能力>

月野透:念動力:物体を浮かすことができる
火木香:霊視 :霊体を見ることができる
土森緑:治癒:心を癒すことができる
水谷茜:発光:光を発現させることができる

水谷はさらに他者の超能力を強めることができる力(相乗作用)もある。
強化されるとどうなるのかは物語終盤の現象を見るとわかってくる。

 

<水谷に強化されると?>

月野透:大きくて無数の物体を浮かすことができる(ラストの夜間飛行)
火木香:霊体に触れることができる(火木兄の具現化)
土森緑:外傷を癒すことができる(頬の切り傷の回復)

水谷の発する光との距離に比例して影響が強く表れるようになっている。後半の強化が、水谷と直接触れ発光した際に起きていたのがわかると思う。その点を留意して読み直すと新たな発見があるのでオススメ。

 

4.火木香の勘違い

火木は物語の初め辺りから月野に好意のようなものを抱いているのがわかるが、そのせいなのか大きな勘違いをしている。

f:id:inthefullmoon:20181231152146p:plain

「幽霊が見えるようになった」「不思議なことがおこる」のは月野だからではなく、水谷の他者の超能力を強める力によるもの(前述)。火木自身の霊視の力がただ強められていただけだったのだ。恋は盲目よろしく月野の近くにはいつも水谷がいたのを火木は最後まで気づかなかった。
 

5.月野透の勘違い

終盤の超能力について語るシーン。

f:id:inthefullmoon:20181105094539p:plain

月野透は超能力(彼の場合は念動力)の体験は二度だと言ってるが、実はこの時点で、もう2回念動力が発動していたのを彼は気づいていない*1

 

月野が自覚している体験は火木香とのゲーム機浮遊。
もうひとつは火木香の兄との接触。月野透のセリフでそのおおよそが語られている。

f:id:inthefullmoon:20181108154831j:plain

では月野透自身気づかなかった念動力とはどこだろうか?
それはまず第1話のこのシーンにある。

f:id:inthefullmoon:20181105110107p:plain

「なぜ中庭に机があるのか?」答えはズバリ、念動力である。
冒頭に月野透と水谷茜の接触で起きたのがきっかけのそれだ。ご丁寧にひとつだけ窓が開いてるのもそのヒントになっている。初めての接触の影響はたったひとつの机でしたが、ラストの無数に浮かぶ机のシーンへ繋がっているとわかると感慨深い場面でもある。

そして最もわかりづらいと思われるのがこのシーン。

f:id:inthefullmoon:20181111200236p:plain

夏休みに二人で海辺へ行く場面。静電気が発生したと思われる水谷のセリフがあったにも関わらず念動力の描写がないなと思っていたが上記のコマ。よーく見るとペットボトルの水滴*2が上方に浮いて葉っぱの上に付着している。他のコマの雫は全て横方向に流れているのにこのコマだけ上方向になっているのだ。つまり念動力はきちんと発動していたことがわかる。

月野の超能力が起きた場面をまとめると、

  1. 火木兄との接触
  2. 水谷茜との初接触(自覚ナシ)
  3. 水谷茜と自転車での接触(自覚ナシ)
  4. 火木香との接触
  5. 水谷茜との夜間飛行

ということになる。それぞれの詳細は項目7の月野透の時系列にて。

 

6.なぜ火木香はひとりぼっちになったのか

夏休みが終わり新学期が始まると、取り巻きが火木を見限って相手にしなくなっている。

f:id:inthefullmoon:20181231150851p:plain

理由はもちろん「火木の兄が既に故人だったのがバレた」からなのだが、なぜ夏休み中のタイミングだったのか?それは水谷の発光(項目3)が大きく影響している。
水谷と月野が自転車で二人乗りしている最中に光が発現したが、その影響は月野だけではなく火木にも及んでいた。
空で一瞬輝いた発光が街のどこかにいた火木の目に留まり幽霊を目撃する。ふためく火木の行動を見た取巻きたちが不審に思い、その結果兄の死がバレて、火木はひとりぼっちになってしまったわけである。

水谷と月野が夏休みに会っていなければ、火木の環境も変わらないままだったかもしれない。

 

7.これが『月曜日の友達』の時系列だ!

f:id:inthefullmoon:20190201174516p:plain

 太字は超能力発動場面。

 

8.最終話の意味

最終話は「大人になっていった水谷たちの余韻」である。

どういうことか。
まず雑誌連載時と単行本では若干の違いがあるので確認していこう。

f:id:inthefullmoon:20190117014551j:plain

連載時。水谷の「静かに 静かに。」の独白後、左に何も描かれていない大コマが1ページ埋めた次から下画像の校舎のシーンへと続く。
単行本では独白後、白紙の見開きが挿し込まれ、更に「おはよう」の独立したセリフの後に校舎、と変更されています。つまり単行本は校舎へ続く前の時間経過に4ページ使っていることになる。
これはどういうことかというと、最終話のテーマである「余韻」を残すためである。

連載時はラストの語り合いから進学するまでの時間経過がたった半ページしかないため、読者が「余韻」を感じることができづらい構成になっていた*3

しかし時間の流れに4ページ割くことによって読者は安心して水谷らの卒業を想像し耽ることができるのである*4

ではその次のページを見ていこう。

f:id:inthefullmoon:20190117171242j:plain

ここからほぼ同じ構図で進むが、単行本ではさり気なく一人の生徒に焦点が当てられており、彼女を追うようなコマの進み方をしている。連載時にはいない、階段を上るバッグを背負ったツインテールの女の子。

f:id:inthefullmoon:20181226082049p:plain

新一年生なので最上階へ向かい、

f:id:inthefullmoon:20181226082451p:plain

廊下を通って教室に入り、窓際の自分の席に向かい、バッグを机の横に掛けてうつ伏せに。

f:id:inthefullmoon:20181226083121p:plain

誰もいなくなった教室で仲の良い友達と放課後オシャベリ。
これは何を意味するのか?

今まで水谷の一人称視点で進んできた物語が最終話でついに三人称へ変わったことを知らせる点である。
つまり「水谷の物語」から「別の物語」へ遷移したことを意味する。

上画像の左下、最後のコマの余白。ここは水谷と土森が一年生の時に座ってた席であり、したがって続くページの最後の風景は「水谷茜がいつも席で見ていた風景」となる。 

f:id:inthefullmoon:20181229072344j:plain

「水谷がいつもの席にいない」こと「別の物語が始まっている」こと。水谷たちがここにはいないことを、最後に改めて提示することで「余韻」をさらに深く感じさせるような構図になっているわけだ。

そのほか単行本の最終話の気になる点を挙げると、季節が一巡して「の季節(春)」で物語の終わりが告げられていたり、連載時は13話だったのをあえて8という数字の話数にまとめられていたり(一週間グループ(7日)から抜け出しの友達ができていく(8へ))など。細かなすべての要因が「次(大人)へ向かっていく示唆(子どもたち)」として最終話に収束していく。
それら全ては、子どもから大人に向かっていった物語を残していなくなった登場人物たちと、席から見える街の風景をラストにすることで、変わっていく子どもたち(水谷たち)と、変わらずにいる街並み(読者)の対比と合わせて読後感に最大限の「余韻」を齎すものとなっている。

だから私たちは『月曜日の友達』を読み終えた後、様々な感情が沸き上がり、ずっしりと、しかし確かに優しく心に残るのである。

 


amazarashi『月曜日』“Monday” Music Video|マンガ「月曜日の友達」主題歌

 

感想

読み返す度に新たな発見があるスルメな作品である。
そして今回の記事を書くにあたって強烈に感じたのは詩の変化として漫画はベストな姿であるかもということ。窓口は広く、中は噛めば噛むほど味が出る。「言葉」を遊ぶには素晴らしい構成だ。
絵柄もまた可愛らしい。個人的には火木のお兄ちゃんと再会するシーンが最高の悶絶ポイントだったが、水谷と月野の自転車のシーンも、茜色に染まる林の中を純粋な(透明な)二人が駆け抜けるという、名前に即した風景に落とし込んだ作者の優しさが映えていて好きな場面だ。
ということでまだまだ遊び足りない本作をもっと楽しむために、「超能力の正体」「実は月野透は超能力を使えない」「クライマックスの夜間飛行で何が起きていたのか」などを次回一気に公開する予定。お付き合いいただければ。

 

次回「月野透側の『月曜日の友達』」更新予定

 

連載時の『月曜日の友達』最終話を見たい人はこちら↓ 

単行本と合わせて読むとなるほどなと新たな発見が多々あります。

 

月曜日

月曜日

 

 

地方都市のメメント・モリ

地方都市のメメント・モリ

 

 

 

 

 

 

*1:「体験」という意味合いでは間違いではないのですがここではご愛嬌

*2:もしくは汗

*3:しかしながら雑誌の場合、印刷ミスなどの観点から白紙の演出(挿し込み)ができないので致し方ない点ではあります。また余談ですが有名なシャーマンキングの無無明亦無月光条例の場合はいずれも文字があり完全な白紙ではありません。

*4:余談だがスピリッツ連載時の最終話はなんと全部で58ページもある(2巻129P「机十六個とボール六十四個の準備だ!うおー!」のコマから)。また実質12話目であり(単行本だと最終話は8話目)、話数ごとに区切りの調整もされている。この修正に注目するなら単行本の最終話はたった8ページしかない。

【感想】ポエム(笑)から始める『月曜日の友達』

月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

 

 

『月曜日の友達』はどこをとっても独特な空気感でクセのある作品だ。

その奇妙な魅力は巧妙に構築されたルールの上で成り立っているのだが、他の青春漫画ではあまり見られないその仕組みを探り、作者がこの漫画で一番やりたかったこと、表現したかったものを考察していきたいと思う。

 

<この記事の品書>

  • 他の青春漫画とはちょっと違う3つのポイント
  • そもそもなぜこのような構造になっているのか
  • 作者が一番表現したかったものとは

 

他の青春漫画とはちょっと違う3つのポイント

1.オノマトペ

 オノマトペとは音を文字化したものである。
「ゴクゴク」「ドカッバキッ」「ザアアアアア」のようなものがオノマトペであり、漫画では当たり前のように使用される演出のひとつだ。
しかし『月曜日の友達』では殆ど見ることはない。

f:id:inthefullmoon:20180830142858p:plain

 普通ならば「ミーンミンミン」「ジワジワ」と「書いてしまう」であろう場面。

 ない。音がひとつもないのである。 

 かろうじて水谷茜(みずたにあかね)のセリフで蝉の声を知ることができる、本作を特徴付ける代表的なシーンだ。

  『月曜日の友達』にはこういったコマがいくつも登場する。

 「オノマトペを書かない」は本作のルールのひとつにある。例えば蝉は「ミンミン」と鳴くのは、実は私たちの固定観念であり、書かないことで「蝉の鳴き声」の想像力を促す狙いがある。

 詩人の中原中也がブランコの揺れる音を「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」と表現したのと同じように、ある人には蝉の声が「ヴィーヴィー」と聞こえるかもしれないし「ぴぃぱるららら」と聞こえるかもしれない。読者が聞こえたように聞こえた音、その想像力こそが正しいのだ。音の部分を委ね、読者の想像力を駆り立てることによって、シーンへの没入感に繋がる仕組みになっているわけだ。

 また、オノマトペがない為に場面のわかりづらさが起きないよう、上のコマであれば上部に空間を作ることで、蝉の声のほか、太陽の日差し、熱気、夏特有の突き抜ける空など読者の想像を手助けする。演出や誘導を巧みに配置することで読者を導いてくれているのだ。

f:id:inthefullmoon:20180830143122p:plain

 夜の学校。プールに落ちる二人。飛び上がる飛沫。衣服から逃げ出す空気。弾ける気泡。
確かに鳴っているであろう無数のオノマトペは、無音の表現と左側の大きな空間でもって秘密事の神秘性を高めている。

f:id:inthefullmoon:20180830142720p:plain

 全編を通して作者は委ねる。どのような音なのか。どのような音だったのか。私たちは確かにソレを聞いたことがあるし、あった。しかし実は一人一人違っていたのかもしれない。

 オノマトペを想像しながら読むと本作はより違った印象を見せてくれるだろう。

 

2.写真的表現

 オノマトペ以外に「効果線がない」のも特徴的な点だ。効果線とは動作や感情を視覚的に表現する描線のこと。

f:id:inthefullmoon:20180830150536j:image設楽清人 著『忍ぶな!チヨちゃん』1巻45P参照

 『月曜日の友達』は他の漫画と比べて、瞬間々々を切り取って写真に収めたようなコマが多い。

f:id:inthefullmoon:20180902100605p:plain

 作者が思い出や記憶を断片的なものとして捉え、それを作品に反映しているからではないかと思う。青春の刹那な輝きと、淡々とした日常の両方にマッチした表現方法だ。

 映画の手法にもあるように、私たちはスローモーション映像に繊細さを感じる傾向にある。フツウの出来事であったものが一瞬の連続として認識すると、隠されていた美しさが垣間見えるようになる。『月曜日の友達』はそのキラキラと輝くものを丁寧に描く手法をとっている。幾分かの誇張はあるものの、ハッとさせられる描写が随所にあるのを感じ取れるはずだ。

f:id:inthefullmoon:20180902110354p:plain

 瞳に写像が映っている写真的表現と、それらを「描く・描かない」漫画的表現が相互していて、一コマの煌めきを鮮やかに彩る。

f:id:inthefullmoon:20180902105843p:plain

 瞬間とは普段気づかない。しかし私たちはその瞬間たちを「きれいなもの」だと知っている。作者は改めてその「きれいなもの」を作品内で浮かび上がらせてくれている。これが爽やかな心地良さと少しの切なさを読後感にもたらしてくれるのだ。 たくさんの瞬間たちに是非一度目を止めて見てほしい。

 

3.セリフ

 最後はコレ。

 『月曜日の友達』を語る上で避けて通れない「クセ」の要素。

f:id:inthefullmoon:20180902103313p:plain

 新聞の文化欄にある詩のような文。

 セリフが理由で本作を読むのを止めた人はいるだろう。演劇のような主人公の言葉に、生理的に無理だったり嫌悪感すら抱いた人もいるかもしれない*1

 糸井重里ですら帯で「大人びたセリフをしゃべられて、なんだか小癪なマンガだと思った」と言ってるくらい(もちろんそのあと肯定するんだけれど)。とにかくクドい。
しかし読み進めるとすぐに気付く。彼女はただどこまでもまっすぐな女の子なのだ。

f:id:inthefullmoon:20181103155247p:plain

 水谷茜の詩の一片のようなセリフたちは作品の最後まで一貫している。最終話で言葉遣いが直って、大人になりました的着地だとかそういう安っぽいジュブナイルではない。寧ろ最後まで彼女は悩みつつも胸の内をキッチリ言葉にする健気さを見せてくれる。

 中二病の取って付けたようなキャラ付けに落ちず、その一貫性に於いて彼女が放つ言葉はひたすらに素直で美しい。迷いつつも前に進んでいく点は漫画の主人公らしさもあり成長譚としても十分面白くなっている。

f:id:inthefullmoon:20181214152910p:plain


 

そもそもなぜこのような構造になっているのか

 しかしなぜ読めなかった人たちも含め、『月曜日の友達』のセリフにこれほどまで過剰な反応をしてしまうのだろうか。

 それを考える上で一番大きな要因は、これまで挙げてきた『月曜日の友達』の仕組みにある。

 「オノマトペがない」「写真的表現」は裏を返せば「情報量が少ない」ということだ。一コマの情報の比重がどこに置かれているかによって、私たち読者が注目する点が変わってくる。どういうことか。

 漫画の情報量についてひとつ例を挙げてみよう。

f:id:inthefullmoon:20181116125653j:plain

田中政志 著『ゴン』2巻第8話参照

 田中政志『ゴン』は圧倒的な画力と躍動感(効果線)で構成されており、セリフはおろかひとつの文字も出てこない。『ゴン』が一番読者に見てほしかったところに広大な大地と様々な生命の力強さがあり、そこに文字を登場させることは蛇足にしかならない。言葉、音の具体性という情報量を省くことによって、無限の想像力とスケールが呼応関係として漫画の中で息吹く。

 では『月曜日の友達』の一番比重が置かれている部分は?
そう、それがまさにセリフだ。

 「オノマトペ」「効果線」などが極力抑えられている構造により、読者は自然と「セリフ」の部分に視線と情報量の欲求が誘導される。

f:id:inthefullmoon:20181214112134j:plain

視線と情報量の誘導:左から通常の漫画、『ゴン』、『月曜日の友達』の情報分量

  つまり『月曜日の友達』はセリフに過剰反応「してしまう」のではなく、過剰反応「するように」できている。

  そしてそれが作者が一番表現したかった部分でもある。

 

 作者が一番表現したかったもの

 これまでの青春漫画はテーマの根本に思春期があって、それを絵柄や技術で彼彼女たちの心の機微や葛藤を表現していた。『月曜日の友達』も多分に漏れず、軸に思春期があるのは間違いないが、この漫画が他の青春漫画と決定的に違うのはアプローチの仕方。『月曜日の友達』は思春期を「言葉」で表現しようとした唯一の青春漫画であることだ。

f:id:inthefullmoon:20181209111504p:plain

 今までの青春漫画は、思春期において避けては通れない「言葉で言い表せない(まだ知らない)感情の表現部分」をキャラの表情や漫画の手法で、いってしまえば無責任に表現していて、文面通り、具体的に「言葉」では言及してこなかった。

 しかし本作は「言葉」に真正面から向き合っている。本作の構造自体がセリフに着目するように出来ているのも「言葉」を読ませるための作者の初めからの狙いであり、私たちが「中二病」「ポエム(笑)」と揶揄し、蔑ろにしてきた「言葉」の数々に今一度向かい合わせるための挑戦状とも捉えることができる。

   私たちが日常、スポーツ、恋愛、学校の出来事に多感に反応していた思春期の頃、心の中には膨大な「言葉」の海があったように思う。それらの殆どは当時「その気持ちを表現する言葉を知らない、言い表せないもの」だったが、本や、会話、音楽にその感情を表現してくれる言葉を見つけ、満たされたり助けられたリした経験が誰にでもあるのではないだろうか。

 『月曜日の友達』の素晴らしいところは、言い表せなかった頃の私たちが見た感じた感情を、水谷茜があえて発する情景や心象の「言葉」そのもので表現している点にある。

f:id:inthefullmoon:20181214143607p:plain

 思春期を「言葉」で表現するということは難しい。思春期とは極個人的なものであるから、読者それぞれの心を動かしたいのならなおさらだ。特に「言葉」自体に興味を失った人たちに、再度向き合ってもらうのは並大抵のことではない。詩集ではカタすぎる。絵本では広すぎる。しかし漫画なら。漫画なら読めてしまうはずだ。

 思春期を言葉で表現した作品を、「ポエム(笑)」な現代の私たちに読ませる方法は、漫画以外にない。

 水谷茜の詩美溢れる「言葉」が、ぼんやりとした心象風景に近いあの頃の感情を淡く浮かび上がらせてくれるだとか、この際メンドクサイ話はいい。『月曜日の友達』の構造全てが「言葉」に向かっているようできているから、読者はただページを開いて水谷茜を追うだけでいい。

 思春期そのものが「言葉」で出来ているのだとしたら?その答えが『月曜日の友達』にはある。

 

感想

 まっすぐで美しい言葉は詩に近づく。

 少なくとも作者は本作でそう考えていたように感じる。思春期という誰もが通った時代。それを現在の私たちが「ポエム(笑)」と投げやりに扱うのは些か早計な気がする。それだけに『月曜日の友達』をまだ読んでない人、読んだが肌に合わなかった人にこそ、今回の仕組みを踏まえた上でまた読んでほしいと思う。

 繰り返しになるが、本作は数ある青春漫画のなか思春期を「言葉」で表現した唯一の作品だ。それだけでも十分楽しめるが、本作には超能力や月野透の謎、最終話の意味など一度読んだだけでは読み取れない伏線も多々存在する。次回はそれらの答えに言及する記事を近々書く予定(というか書いてる途中)なので、そちらも楽しんでいただけたらなと思っております。

書きました→

【解説】『月曜日の友達』小ネタと最終話と超能力と【考察】 - 頭んなかで、楽しんだ。

 

月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

 

  

月曜日の友達 2 (ビッグコミックス)

月曜日の友達 2 (ビッグコミックス)

 

 

大好きが虫はタダシくんの―阿部共実作品集 (少年チャンピオン・コミックス)

大好きが虫はタダシくんの―阿部共実作品集 (少年チャンピオン・コミックス)

 

*1:余談だが小学館の漫画のセリフには句読点が付いている