【考察】『ヨルシカ - 言って。』の女の子は踊り、タコはこちらを見ている。
『ヨルシカ』
ボカロPの"n-buna(ナブナ)"が、ライブでボーカルを務めていた"suis(スイ)"と結成したバンド。名前の由来は別の曲『雲と幽霊』の歌詞"夜しか"から。
ヨルシカ - 言って。(Music Video) / Yorushika - "Say to"
清涼な歌声とギターリフが小気味良い。サラッとしてしつこくなく、何度繰り返しても飽きないフレンチサラダ的サウンド。
それはいいとして、さてこのPV。
真っ白い女の子が不思議な踊りを披露し、ボロボロの建物を駆け巡り、下水から耳の長い影が顔を出したかと思えば、挙句の果てにタコまで現れる。意味がわからない。
歌詞と雰囲気で『起きた出来事』はなんとなくわかるけれど、PVに映る現象とどうリンクするのだろう。
- なぜ彼女は意味不明な踊りをしてるのか?
- この場所の意味
- 影とタコの正体
この3つで楽しんでいこうと思う。
まず彼女に何が起きたのか。以下歌詞より
あのね、私実はわかってるの
もう君が逝ったこと
「君」が何も言わず死を選び、「君」がもうこの世にはいないことを悔やんでいる「私」。彼女は「君」の死の際(きわ)を悟ることができず、なんでもっと言ってくれなかったのかと半ば脅迫的に君を責める。「君が逝った」ことにより彼女の身に精神的負荷がかかることになった。
「君」が死んだ直接の原因は飛び降り自殺。曲の冒頭の落下音と、息を止めるシーンがその暗示。真正面から目を横にする動きは、遺影から目をそらす仕草。2度の拍手は神道の葬儀のそれかと思ったが一般的には音を鳴らさない忍手なので、わかりやすくするためなのかも。チラッと写る立方体は生命から物体と化した遺体の暗喩。
曲の始まりわずか3秒で『出来事』を全部ぶっこんできた剛腕。
歌詞を見ると、ほとんどが「君」への自白であることから、彼女はもう一度君に会って話したかったのだろう。飛び降りる前の。空にいってしまった後の。故に彼女は高い場所へ足を運ぶ。それが『2.この場所の意味』である。
PVの彼女を通してよく見ると、実写と一緒に映るときだけ体の一部に影がかかる。
彼女の上述の行動が自身を蝕み、ストレスが内面を侵食していく。影は精神的負荷であり、言葉にできるとき(背景が青のとき)、辛うじて影の存在は弱くなる。
『1.なぜ彼女は意味不明な踊りをしてるのか?』
フラッシュバックする君との思い出を振り返りながら踊るとき、影は乖離し、彼女は幾らかの精神を安定させることができる。意味不明な踊りこそ、ここに彼女がいられる方法なのだ。
『3.影とタコの正体』の影の具体的な姿は映像のちょうど1:00に映っている。
こやつが彼女の心を締め付けている元凶。キュゥべえ。
盲目的に盲動的に妄想的に生きて
衝動的な焦燥的な消極的なままじゃ駄目だったんだ
その結果がこれ。
自殺は残された者へ呪いにも似た異物を残していく。それは形を変え、姿を変え、何も言わず忍び寄る。悪い夢。まるで悪夢のようなPVだ。
それに拍車をかける存在がいる。タコである。
2:48にエレベーター内から手招き、もとい引きずり込まんとする仕草でニーチェよろしくこちらを覗いている。もちろんこのタコも影の側で、彼女を苦しめる呪術のそれ。
なぜなら『タコの正体』は「君」が飛び降りた後の死体だからだ。
ありえない方向に曲がった四肢。虚ろな目。飛び散った臓物。ぶちまけた脳漿と大量の血。そのシルエットこそがタコの正体である。上述の影よりも大きく、具体的な形をもち、巨大で悍ましいタコは死体からの化身である所以だろう。
しかしこの先のシーン。
彼女はタコの隣で寝転がり、空を見上げる。どんなに蝕まれようとも「君」の気持ちを推し量るように、確かめるように、死体(があったかもしれない)のそばで寄り添う。
もっと、もっと、もっと、ちゃんと言ってほしくて。
「君」への願いが彼女の心の拠り所であり、人生最後の日まで問い続けることが、彼女の生きていく術なのかもしれない。言葉と向き合う最後のカットのみ、彼女に影がかかっていないのが、その未来の暗示だろう。
解釈
- なぜ彼女は意味不明な踊りをしているのか? → 精神のバランスをとるため
- この場所の意味 → 「君」を確かめる方法に近い場所
- 影とタコの正体 → 死んだ「君」が齎す精神的負荷
……、
ここまで楽しんでおいてあれだが、もう一つ別の考察を。
それは『PVの白い女の子は「私」ではない』説。
今まで散々説明してきた文の中で僕があえて「彼女」と表記した人物。PVの真っ白い女の子。それこそが冒頭、飛び降り自殺した「君」だ。そして背景が青のときの女の子が現実で生きている「私」である。
終始女の子は無表情で、空白で、踊りだしては走馬燈を見て、気がおかしくなっている。3:17では天使の輪を模した外灯で、すでに死んでいることが提示されているが、ここで注目したいのは、その前のシーンから。
「私」も「君」を追って死を選んだのだ。
青(生きている世界)と黒(死んでいる世界)が入り混じる薄暗い背景のなか、光る輝きだけが二人を照らしている。
きっと、人生最後の日を前に思うのだろう
全部、全部言い足りなくて惜しいけど
そして人生最後の日、君が見えるのなら
きっと、人生最後の日も愛をうたうのだろう
全部、全部無駄じゃなかったって言うから